国家買付の対前年増加率

都市勤労者を扶養するための食料、ならびに重工業の資本蓄積のための農業余剰の創出は、中国の経済発展メカニズムの起点であった。しかし、農業の労働生産性のこのようないちじるしい低迷のもとで、蓄積メカニズムはその起点において紅語が発生したといわねばならない。次に示されるような「食料商品化率」の長期停滞が、その数量的表現である。

食料の生産量は、1960年代前半期の「大躍進期」後の調整期における無惨な実績を別にすれば、長期にわたってかなりの増加趨勢をみせてきた。しかし、これに反して国家買付量の伸びは緩慢であった。

食料商品化率、すなわち食料総生産に占める国家買付量の比率は1959年、1960年を例外として減少傾向をたどった。これが上昇に向かいはじめるのは1979年の、のちに述べる改革開放期における農政転換以降のことである。

統一買付・販売政策の導入により食料の国家買付比率は確かに高まったものの、その上昇は1953年の28.4%から1954年の30.6%へと、わずか2.2%にとどまった。注目すべきは、国家買付比率が1955年27.6%、1956年23.6%、1957年24.0%へと低下し、その値がいずれも統一買付・販売政策の導入以前の1953年水準を下まわったという事実である。

すなわち国家買付の対前年増加率は、1954年は9.2%であったものの、1955年はマイナス0.2%、1956年は実にマイナス0.5%となってしまった。国家買付量の増加を求めて、食料の流通に関する中央統制を強化したのであるが、買付量それ自体はさしたる増加をみせず、減少さえしたのである。