「集団自己」解体の悲劇

このように民衆はヒトラーに酔ってしまったのである。役者やタレントに酔うならまだ被害は少ないが、政治家にだけはけして心酔してはならない。そのためにその後のドイツ国民は悲劇のどん底にたたきこまれるのである。このリーダーと民衆との社会心理学を、コフートは「自己対象」という自己心理学の用語で説明する。


第一次大戦の敗北により弱くなったドイツ国民の集団自己は、解体寸前の状態にあった。このような集団自己は強力な指導者を求める。そこに登場したのが、メシア的な自己愛的人格のヒトラーだったのである。自己と対象(他人)とが未分化であるから、民衆はヒトラーの確信の中に自己の誇大感や万能感が満たされ、ヒトラーへ理想化転移し、「ハイルーヒトラーー」の歓声となる。


しかし、これは非現実的なものであるから、破滅は早晩おとずれる。とくに現実検討の不確実な指導者のもとではなおさらである。ヒトラーを選び、ヒトラーに従った民衆たちは、自らの選択の誤りに気がついたときは、ナチスの秘密警察と親衛隊の網の中にいたのである。ナルシスト宰相・チャーチルところでコフートは、ヒトラーの相手となった英国宰相チャーチルを、カリスマ的リーダーの典型としてあげている。


チャーチルはその『第二次大戦回顧録』で、「一介の名もなきオーストリアの税関の子」とヒトラーを書いているが、チャーチル自身はヒトラーより十五歳年下で、英国の貴族の出身である。めぐまれた家庭に育ち、二十六歳で保守党議員、三七歳で海軍大臣、それ以後、軍需大臣、陸軍大臣、植民大臣、大蔵大臣を歴任し、第二次大戦がはじまるとともに再び海軍大臣になり、一九四〇年にヒトラーナチスードイツの攻撃のもと英国に危機がおとずれたときはじめて首相に選ばれた。六十六歳のときである。そして英国を勝利にみちびいた一九四五年まで首相の座にあった。彼は九十一歳の長寿を保ち、死に際して国葬が営まれた。


コフートは、ヒトラー反ユダヤ主義のように自分の信念を絶対的に正しいとする感覚をもっているものを「メシア的指導者」といい、チャーチルのように自分に力があると確信しているものを「カリスマ的指導者」と呼んでいる。前者は「理想化された親イメージ」に強調がおかれ、後者は「内なる誇大自己」に強調がおかれている。このように自己愛的リーダーも、ナルシズムの発達の二つの方向性によって、その強調の仕方によりカリスマ的とメシア的に分れるとコフートはみたのである。