ユニークな生き方

《江戸時代のころの感覚で言う自由とは罪悪ですからね。封建時代からすると、これは犯罪だから。自由という言葉はいい意味ではなかった。しかし、罪悪だろうが犯罪だろうがわたしは(歌舞伎が)好きなんだから、と。(自由に歌舞伎に入れ込む)不良老年ってわけです(笑)。このあいだ『浬束綺譚』の映画を観ましたが、’荷風散人なんていうのは不良老年の代表的な人でしょう。散人とはよくっけたとわたしはみていたのですが、散楽というのは俗楽、散歩というのは目的のない歩き、散位というのは位のない人のことをいうのです。(特定の)グループや社会に入らない逸脱した人間が散人です。》


私にとって意外だったのは、郡司さんの「自然体の生き方」と外側からは見えるものが、実はある境遇のもとで意思と努力の結果得られたものであったことである。そのことについても、対談のなかに、次のように言われている。《わたしはいつでも一歩下がることを考えてきたのです。(陽のあたるところに出るのを避けているのは)皮膚が焼けてシミになるから止めておこうということはあります(笑)。わたしは肺病で長いこと寝ていたでしょう、昔は肺病は死に病だから、陽が当たると助からないので日陰にばかり逃げ込んだのです。(精神的にも)認められたら自由じゃなくなるから。(認められると)無理に世間から仮面をつけさせられた気分になるよね。自分では自由にやっているつもりでも振り回されてしまう。


このような郡司さんのユニークな生き方そのものについては、大隈講堂での「偲ぶ会」の折にいただいた四つ折小冊子『面影草』所載の「迷語抄」のなかにある数々の断章のうちに端的に示されているっ最後に、そのいくつかを披露することにしよう。いわく、「息をしないようにして生きる。」まことに、郡司さんの生き方の真骨頂を述べたものである。「形から見てわからぬときはながれからみればわかる(反対も可か)」「意味がわからぬときは、動いてみればいい。」これらも明らかに郡司さんの生き方と学問の方法を示している。他方、「賞めることは難い。非難はやさしい。」ここには郡司さんの人柄がうかがわれる。


そして、これらすべては、次の「儀式は虚礼を含む。政治に繋がる。風流(伊達)は正直。」にも出てくる郡司さんの重要なキーワード「風流」(伊達)とただちに結びつく。ここで風流とは洒落のめすことではない。むしろ、静かに毅然と生きることである。晩年のご著書の『風流と見立』(一九八九年、白水社、那司正勝俐定集第六巻「風流の象」所収)のなかでも、大正期の文学者たちが拠りどころにしていた「風流」とは意志的なものだという考え方が紹介されているように。また、これらの断章中には、芸能に対する熱い思いを述べたことばとともに、生死に向かい合った重いことばがいくつもある。