百年に一度の事態

株急落などで世界の企業も家計も、景気の先行きへの不安心理が高まり、経済活動に慎重になり、消費も冷え込んでしまいました。金融危機実体経済を下押しし、世界は不況期に入りました。さらに今、世界中で問題になってきたのが、大量の失業者の発生と、企業倒産です。主要企業は軒並み業績を大幅に下方修正。経営改善のための雇用削減に動き出しました。銀行は経営に不安がある企業への融資に慎重になってきました。さらに、巨額損失が発生して赤字になれば資本が目減りするので、融資を増やす余力もなくなります。結果として、資金繰りを確保できなくなる企業は倒産に追い込まれてしまいます。

米国では金融当局が、公的資金を使って主要銀行に軒並み資本注入し、ビッグスリーと呼ばれる自動車三社への支援に動きだしました。もちろん米国だけではありません。日本を含め世界各国で、金融機関の支援や景気対策など政策総動員で危機封じに動き出しました。それでも危機の深まりに追い付かず、追加の対応策を迫られています。出口は全く見えない状況に陥っています。「最悪の事態がじつは最悪でなく、さらに悪化し続けた」。二十世紀の経済学の巨人々と呼ばれた米経済学者ジョン・K・ガルブレイス氏は、一九五五年春に出版した著書『大暴落1929』のなかで、二九年の株価暴落をきっかけとした大恐慌が、ほかのバブルの生成と崩壊とは際立って違った特徴をこう評した。

暗黒の木曜日悲劇の火曜日と呼ばれる株式相場の暴落に見舞われた一九二九年秋。ニューヨーク証券取引所に上場する米国の主要銘柄の平均株価がっけた最安値は十一月のこ一四ドル。九月のピークからほぼ五割下げた水準で、多くの人が底値だとみた。それが三年後の三二年七月には五〇ドル前後になっていた。同年の大暴落の後、経済は悪化、銀行の倒産が急増、それが景気の急激な後退を増幅し、大恐慌につながった。三三年の米国の国民総生産(GNP)は二九年の三分の二に落ち込んだ。街には失業者があふれ、四人に一人が職を失った。

三三年にフランクリンールーズペルト大統領が就任し、ニューディール々の名で知られる経済政策を打ち出し、財政均衡から財政拡大へと政策のかじを切って新規まき直しに打って出た。だが、経済規模が二九年当時の水準まで回復したのは四一年で、十年以上を要した。第二次世界大戦による″戦時特需々を待たねばならなかった。 そして今、世界が直面する金融・経済の危機について、経済専門家は「大恐慌以来」「百年に一度か、五十年に一度の危機」と指摘する。金融機関の損失はいったいどこまで膨らむのか、実体経済はどこまで悪くなるのか。誰も想像しなかったような速度と深度で、世界経済の状況は悪化し続け、いっこうに底が見えてこないことへの不安が広がっているためだ。

二〇〇六年末ごろから一部の関係者が心配し始めていた米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題は、振り返れば、きっかけにすぎなかった。信用力の低い個人々というと、イメージしにくいかもしれない。頭金を払う貯蓄がないだけでなく、月々、住宅ローンの元利返済するのにも十分な収入がない人といえば、わかりやすいだろうか。米国では、そうした人々まで住宅を買えるようになっていた。住宅ローンといえば、頭金二〇%、三十年固定金利返済というのが米国でも一般的だった。それが、頭金なしで、最初の二、三年の元利返済額を通常よりぐんと低く抑えた住宅ローンを金融機関や住宅金融会社が投入して、融資実行を競った。なかには、最初の五年間は利息だけ返済する「インタレストーオンリー」と呼ばれるローンまであった。