西洋の衝撃と清国の命運

『世界の歴史19中華帝国の危機』並木頼寿、井上裕正中央公論社応召 アヘン戦争に始まる「西洋の衝撃」がいかなる経緯をもって清国を崩落させていったのかを、中華帝国の権威原理と権力構造の解体史として描いた読み物が本書である。確かな史観と実証の裏づけをもつ本書のような秀作が香港返還のこの時期にタイミングよく出版されたことは、日本の中国史研究の懐の深さを感じさせる。

中華思想によれば、地上世界の中心に位置しているものが天朝であり、天にゆだねられて地上の秩序の維持に責任をもつものが皇帝である。中華世界(華夷世界)とは、この皇帝を擁する中華の周辺を野蛮な夷秋が取り囲んで構成されたものにほかならない。夷秋は中華の属国であり、属国の君主は中華の皇帝に臣従して初めて君主としての地位を承認される。属国は中華の王朝国家に朝貢品を献納し、王朝国家から見返りに絹織物などの金品を下賜されるという形で朝貢貿易が成立し、これが東アジア国際秩序の基本的な構図であった。

アヘン戦争以来の中国はベトナムビルマ琉球、朝鮮などの朝貢国を失い、みずからも「半植民地化」され、華夷秩序の権威原理は地に堕ちた。「示平等」条約の影響で当時の社会・経済にいかなる実質的な変化が生まれたか、生まれなかったかなどの問題は、むしろ枝葉の問題にすぎない。主要な問題は、世界の中心的存在から周辺的存在への転落にある」というのが本書の視角である。うちつづく内乱と地方分権化を通じて清国が列強の侵略に抗する権力基盤を急速に薄いものにしていった過程をも本書は精細に描写している。

アヘン戦争に対する民族的抵抗に始まり太平天国の乱や辛亥革命の人民闘争を継承して、その勝利を最終的に掌中に収めたのが中国共産党であるというのが現代中国の「正史」であるが、歴史はそのように単色のものではないことを本書は訴えている。