外科の看護婦はきびしい

診察日に医師に向かってこう言ってみた。「このクスリ飲むと食欲がなくなって困るんです。飲みたくない」医師は答えた。「ああそうですか」飲まないでいいとも悪いともいわずにただ「ああそうですか」。鳥海さんは否定されなかったのだから、飲まないでいいと自分で決めて、抗がん剤をやめた。しかし、しだいにやせはじめた。量ってみたら三八キロに減っていた。入院前は六五キロだったから二七キロのマイナス。医師にきくと、「ああ骨と皮までやせますよ」と言った。のどか異常にかわき、一時間おきに尿意を感じてはトイレに通う。電話で話していても口が乾いてきて舌がねじくれる。目はかすみ、葉書の文章ひとつ読みとれない。そして、自分では気がつかなかったが、周囲の言葉をあとで集めてみると、まるで笑わなくなってしまったとい鏡のなかの自分の顔が妙に固定して動かなくなっていることには、うすうす気づいていた。糖尿病がひどくなっていたのである。


そこから出るインシュリンが、とだえてしまう。当然、糖尿病の症状が出るわけだ。しかし、鳥海さんにはこのことがきちんとインプットされていなかった。樵悴し切ったところでついに入院となった。二度目の入院である。内科の病棟だから、頼みの綱のAさんのケアを受けるわけにもいかない。五週間の再入院中二週間、ほとんど眠れなかったというすさまじい記憶が残っている。インシュリンが欠乏するから糖尿病の症状が出る、したがってそのときは食餌療法はこう、インシュリン注射の自己管理はこうしますという予測を、なぜ病院側は伝えてくれなかったのだろう。


インシュリン問題は内科がカバーする問題だから、外科医は立ち入らないとでもいうのだろうか。うるさ型の患者、鳥海昭子ならずとも当然その疑問は起きる。Aさんはこの問題について、こう割り切っていう。「その問題については入院中からフォローしており、血糖値にもとづいて判断しています。しかし、退院時はそれほど問題にならない数値だった。二週に一ペん通院時に判断してゆけばいいということだったと思う」鳥海さんはいま、一日一四〇〇キロカロリーの食事と、一日一回のインシュリン自己注射と、よく歩くという日課を確実にこなし、ぐんぐん体力を回復、気力も旺盛さをまし、闘病中の歌集『低い風』を編むまでになっている。


ふるさと鳥海山の四季を描いたエッセイ集『あしたの陽の出』も書きあげた。危機は回避された。結果は上出来だ。しかしぶり返ってみると、ディスコミュニケーションの問題が、浮かび上がってくる。それはインフォームドーコンセントのギャップというべきものであろう。つまり、「もうひと言がほしかった」ということである。その問題をアタマに置きながら、私はAさんと、少時語りあった。まとめとして読んでいただければありかたい。外科病棟に移るとき鳥海さんがきかされたのは、外科の看護婦はきびしいソこわいゾということだったそうです。Aさん 私は烏海さんの看護記録を見て、これはかなり手ごわそうな患者だと身構えましたね。


三双方、緊張して土俵にあがったわけです。Aさん ストレスがかなりある、多少わがままである、執筆業ということもあって気むずかしいひと。これが印象。実際に私か受持ち看護婦ですとあいさつに行ったとき、この予想は外れていなかったと感じました。患者を好きになれるかどうか、最初は自信がありませんでした。自分を信頼してもらえるかどうか、これも自信がない。早く鳥海さんの長所を見つけなければ、と努力しました。看護というのはそこからスタートするわけですね。Aさん 受持ち看護婦というのは、看護面の主治医みたいなものですから、信頼関係を結びそこねると悲劇なのです。ましてや鳥海さんの場合は、大手術をするのですから、入院期間も当然長びく。しかし、患者は、努力する気力も萎えてるわけですから、それは専門職の看護婦が努力しなければならない。